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理科の指導力

2013年1月23日 (水)

理科工作の力量どうみにつけるか(実野 恒久)教育科学「理科教育」1983.12No.244

 「理科工作」ということぱは,「図画工作」と異ってまだ市民権を得ていない.理科学習では「作る」活動が重視されていて,理科の製作活動を理科工作と呼び慣わしている.落ち葉遊びや石ころ遊びなど天然物を使う遊びから,ベルやモーターの工作,実験器具装置作りなどを含めて,理科工作という.
 図画工作では色・形・素材を対象としているが,理科工作では構造・機能・素材を対象にしていて,そのねらいは異なっている.殊に理科工作は,理科教育の一環であって,工作の過程に科学的思考と科学的技術の指導が大切であることは,いうまでもない.たとえば風やゴム,おもりで動くおもちゃ作りは,理科工作では作って動かしておしまいであってはならない.そこに子どもは,何に気づきどのように工夫を重ねていくか,そして初歩的であるとはいえ原理がわかることに,理科工作はねらいをおいている.
 子どもと科学技術をドッキングさせるには,動くおもちゃを手作りさせるのが最も効果があるというのが,私の年来の主張である.かつて付属小学校の教諭をしていたころ,担当クラスの子どもの過半数が,工学や理学の学位を持って今第一線で活躍してくれていて,その動機は小学校理科における工作の楽しさであったという.指導の工夫によって,子どもは理科工作の楽しさに熱中するものだ.毎年夏休みに兵庫県立嬉野台生涯教育センターで3泊4日,県下から理科工作の好きな小学生100人が集まり,毎日朝9時から夜
9時まで創作教室を開いているが,子どもは飽くことなく次々と理科工作の課題に挑戦、そのすさまじいパワーに驚かされる。子どもってこんなもんだ。
1 アイディアと工作技術
 昨年の8月に読売新聞から「ダンボール動く手作りおもちゃ」の連載を頼まれて四苦八苦.先ずダンボールの特性の分析吟味からはじめ,接着剤の選択試験や工作用具の検討,それに,なじみやすいアクリル系塗料の比較実験と,例によって基礎知識の獲得に努めた.次にどんな構造・機能のおもちゃを作るべきか,それによって子どもは何かわかるか,しきりにノートに書いてアイディアをおり重ねる.この道すじが理科工作では大切だと考えている.
 それぞれ異なった機能を持つ動くおもちゃを,10点ほど作って紹介した.その反響はかなり大きく,新聞を見たと母子連れが次々と来宅,もっと他にかいか,幼児に作れたいか,作り方のコツを教えて欲しいなど,母親の熱心さに感服した.小学校の先生が誰一人来られなかったのは残念だ.
 それらの期待にこたえようと,9月1日から,1日に1点の手作りおもちゃを工夫して工作する課題をたてて挑戦することにした.徹夜して朝方にやっと思うような動きができたことも再三である.
 アイディアは昔から,鞍上(今でいうなら電車の中で),枕上(寝ながら),架上(便所の中で)で生まれるといわれているが,全くそのとおり.工夫するから工作といい,考作するから巧作になり好作になる.そのくりかえしり1年を続けた.数がたまるとマニアになり,工作に酔っぱらいやすくなる.このことは絶えず警戒し続けた.各テレビやラジオ,新聞にこめことを紹介されると,さらに継続せざるを得なくなった.
 数多く作り続けていると,工作技術が著しく上達した.技術が進むと,新しいアイディアが自然と生み出されてくる.アイディアと技術が相互作用をするものだということは,経験から悟った智慧である.
 これをすすめられてまとめたのが「ダンボールおもちゃ(保育社カラフブックス)」で,小さな本で十分に述べられなかったが,このいきさつについて紹介したつもりである。
2 先ず己をしてつかしむべし
 自分が実際に体験して得た経験と智慧は,あらゆるところで必要に応じて取り出すことができる.これを「身につけた」というのだ.
 理科工作の指導では,特にこのことが大切だろう.
  「己をして先ず,なすべきところにつかしむべし,しかして後に,他人に教うべし.心ある者は,かくて煩(わずらう)ことながらん.(法句経)」
 自分が実践し実証し確信して救われてから,人に教えたならば,きっと安心して事を成しとげるであろうという.いささか説法くさいが,真理だと思う.先生とは,こうありたいものだ.・
 夏休みの自由研究や理科工作展は,年中行事として各地で花ざかりである.
 大阪市西区日吉小学校も理科工作展を企画したが,動くおもちゃ,光るおもちゃ,音の出るおもちゃと課題をしぼった.半数の子どもが参加してくれればと願っていたが,全児童が思い思いの工夫工作を持ちよって,先生方は予想以上の内容に感動され,あの子どもにこんな工夫ができたのかと,子どもを見なおしていられた.というのは,子どもに課題を出す以上は先ず教師がやってみるべきだという年来の学校方針で,まず丁先生の動くおもちゃ展」を開いた.それに得意な先生は水を得た魚のように,不得手な先生は仲間のヒントを得てそれなりに楽しい工夫展になった.それを見た子どもは,
 「うちの先生はようやるな.先生に負けないアイディアを出そう」と,新鮮な期待にあふれ,先生も自分の経験と智慧で,適切な助言ができたようだ.
 校内のこの工夫工作展は大きな反響を呼び,講堂いっぱいに展示された工夫工作に,父兄の参観も相つぎ,殊に児童全員による評価・投票により各賞が選定された,子どもは友人仲間から認められることが誇りのようだ.テレビがこれを紹介し,父兄の学校への関心と期待は一挙に高まったという.子どもは「次はいつ開くのか.こんどはもっと工夫して.」こうして自分で課題を持ち,いつも構えていくことに大きな効果がある.
 同校ではまた,フライティングカーニバルを催し,紙グライダーやプロペラ機を飛ばし,滞空時間や飛行距離,機体のバランスの美しさなどを競った.例によってまず先生方がそのことを体験しあい,休み時間はそのことの工夫に熱中され,子どもは先生に負けないぞと興奮状態になったという.
 学校はイベント屋であってはならないが,「子どもの可能性を育てる」という言葉の美しさに酔っているだけでなく,まず何をなすべきか,それにふさわしい動機づけや刺激が必要であろう.それには丁先ず己をしてつかしむべし」が大切である.
 3 教科書の理科工作はおもしろくない
 こんな声を,子どもからも先生からもよく聞く.私は昭和23年以来,理科検定教科書を書き続けてきたが,昔に比べると理科工作の工夫は,ずいぶん進んだものだ.しかし教科書の宿命があって,一般図書のように理科工作をおもしろおかしく書けない.ともすると,本末が転倒しやすくなりやすい.理科学習での工作は,それがスタートであって,そこから子どもが自由に,工夫創作への翼を広げて発展させるものである.どのように翼を広げさせていくかは,教師の力量にまつところだ.
 理科工作は,単なる工夫やアイディアであってはならないことはいうまでもないが,これらを軽視してはそれこそ,子どもにとっておもしろくないものに終りやすい.どのように工夫改良していくか丿工夫する技術」を身につけたいものである.
 工夫する技術は,体験的に身につけていくものであり,人によってそのパターンも多様で,一ロにいえるものでない.「あなたはどうして次々にアイディアを生みだすのか」とよく尋ねられるが,その答はない.ただ体験からいえることは,必要さに対決したときに,今までにこだわらないで,いろいろに視点を変えて,見たり考えたり扱ったりするくせが身についているからかも知れない.物を見ても 自分ならこう考えると構える.
 近ごろ,各市教員センターの活躍が盛んで,毎月の事前教材研修会が充実・してきたレこれらはできるだけ積極的に参加すべきである∠雑用に追われて忙しいが,それらは家に持ち帰ってもできることで,研修担当者はそれなトりに工夫した内容を紹介しているはずである.まず見て資料を集めることである.私も大学のあいまを見て,各市のセソターヘ参観に出かけるLそ亡ではすばらしいヒントを得られることが多い.自分だけで考えていると,行きづ壇った壁を破りにくいが,他のヒントによって大きく開けていぐ市のセンターによっては,マンネリ化していて魅力に乏しいというのか,参加者が少なくなっているところもあるが,それとて反面教師として得るものがあるはずである.まず見歩いて資料を集めることが,理科工作の力量を身につける手近な方法であろう.
 過日もあるセソターでの動くおもちや教材研修会に参加したが,担当者が徹底した材料を用意して,次々とおもちや作りをさせられた.参加者はただ与えられたキットを組み立て,たくさんのお土産をもらったというに過ぎなかった.どうしてこの構造にしたのか,なぜこの素材を選んだのか,子どもに指導してどんな反応であったのか,自分の経験的苦労の紹介が欲しいと感じた.参加者は担当者の苦労の擬似体験でもよい,工夫していく過程や手段を知りたいと願っているものだ.               ‥
 また,理科教育誌などには,工夫した理科工作例の紹介記事が多い.これらは見て終らさないで,自分で実際に真似てみる.いねば追跡実験である。この体験の積み重ねが,自分の力量になっていく.しかも自分ならどうするか,もう一ひねり工夫できないか,絶えず考えていく.もし他の材料に置き変えたらどうなるか,つけ加えるべき物や取り除べき物はないか,他の場合に当七はめられたいか,理科工作の工夫はいわば思考訓練といえる.
 韓国の教育委員会からコソタクトがあったが,理科工作の研究にエソジソがかかったらしい、いずれ日本に追いつくのは、現代工業生産だけではないようである。
 4 理科工作の素材を探す楽しさ 
 適切な素材が見つかると,理科工作は一段と前進する.素材の認識不足から工夫に行きづまっているときに,それを見つけ得たときの喜び牒作った者でないと味わえない.理科工作の力量をたかめるには,まず,素材を探す楽しさを体験することである.
 枚方市香陽小学校は今年から,理科の教材教具研究に取り組むことになった.「東急ハソズヘ行った人は?」に誰もいなかった.私鉄線の違いからだろう.近ごろ手作りクラフトの流行で,各地に大なり小なり,クラフト材料店が多くなってきた.これらには理科工作の素材となる必要なものが揃っている.東京や大阪の東急ハンズはその最たるもので,大阪天王寺のそごうホップなど,大型店も次々とオープンしている.早速に東急ハンズに出かけた先生方は丿これは教材に使えそうだ,これで理科工作ができる」とあまりにも買いこみすぎて,帰りは困ったという.
 大阪各市のジョイフルアサヒや神戸のサンプラザ,奈良のオレソジハウスなど専門店も多いが,百貨店やスーパーにもタラフトコーナーを常設している.また台所コーナーや日曜大工店など,探せばどこにでも見つかる.これらを知的好奇心を持って,暇のあるときに見てまわることである.理科工作の力量は,どこに何を売っているかを知っていること.必要なときに適切な素材があって,理科工作は果世るものである.
 逆に何かに利用できそうな素材を手にとって見ていると,理科工作のアイディアがひらめく.経験の浅いころは,この方法も効果がある.
 果して香陽小学校の先生方は,各学年で競ってすばらしい教材教具が生み出されてきた.理科工作が不得手だという方の多くは,素材の認識不足によることが多いようだ.キット工作やプラモデルなど,与えられたワクの中で工作していると、自分の考えで自分が作る自己実現を失わせるのだろう。ぜひ素材を探す楽しさを体験したいものである。
 5 今の子どもは不器用でない
 子どもは不器用だというのは,新聞や雑誌などのマスコミにおどらされているので,実態はかえって昔より巧みになっている.鉛筆が削れないというのは,電動鉛筆削り機が普及して小刀を使う必要がなくなったために,訓練の機会が少なくなったためだろう.江戸時代の子どもが現代の大人は,わらじも編めない不器用さというのと同じだ.便利な工具が出まわっているとはいえ,それらを正しく使い慣れる訓練が必要である.子どもが手作りをする必然の立場や必要の意識へ追いこむ指導が大切である.それには理科工作が最適だといえる.素朴な材料が手を加えられて,次第に自分の考えた物へ変身していく過程に感動を持ち,思ったような動きをしたときの喜びを体験させたいものである.
 各地のカルチャーセンターや理科工作教室で,実際に子どもたちに指導してみて,適切な助言や支援があれば,子どもは自分の発想を確実にものにしていくことを経験した.この適切な指導は,並太低でできるものでないが,先ず自分が工夫工作してみて,子どもならどうするだろうかを考えていくと,自然と得られるものである.まずコツを会得して,そのコツを子どもに助言することが,理科工作の指導のコツである.教師の体験と思考と知識が経験となり,その積み重ねによって,理科工作の技術を身につけることができる丁理科工作の力量,どう身につけるか」の問いに対して,その答はこれしかないご私などは工作技術が拙く生まれつきの不器用だと嘆いているが,理科工作に意欲を持って次々に挑戦していけるのは,子どもに理科指導をしていく上に,必要で欠くことのできない価値を認めたからである.ここでは理科工作論を述べるよりも,私の体験から得たことを紹介しようと考えた.
                         <神戸女子大学教授>

2013年1月22日 (火)

教材教具開発の力量どう身につけるか(井出 耕一郎)教育科学「理科教育」1987.12No.244

 1 教材・教具とは何か
 教師が授業をするにあたって,教材を研究し,教具を活用できなければ,その授業の目標を達成すること:ま困難である.そして教師の中心的な仕事が子どもたちの学習指導にあるとすれば,教材・教具を十分に活用できることは教師のもっとも大切な能力の一つということができよう.
 ところで教材・教具という言葉で教具の方は比較的わかりやすいが,教材という言葉の意味内容はあまり明瞭ではない.教材は教えるために必要な材料という意味を持っているが,この材料という言葉を広く解釈すると,教育に必要な資料,施設の一切を含めることができる.十もう少し狭くとって,学校教育法第21条をもとにすると教材とは教科書,それ以外の図書,その他の教材とされている.このその他の教材は文部省の教材基準に示されたもめを見ると各教科の共通教材として,スライド映写機,オーバーヘッドプロジェクター等の視聴覚機器,各教科の教材としては理科では理科教育振興法による設備規準に.基づくものとされており,これは明らかに教具を含めている.
 また学校で普通教材研究という場合には当面の教授対象となる特定の単元についての指導内容やそれに必要な資料と考えられている.そしてこの場合も教科書,実験材料などを含めて考えることが多い.
 このように教材という言葉を広く解釈して使用することは,ある意味では便利であるが,教材・教具の研究や開発を考える場合,それぞれをより限定して扱った方が意味が明瞭になって考えやすい.
 ここであげた教材の中に,教授・学習過程において教師の立場からいうと指導内容,子どもたちの立場からいうと学習内容に関係するもので,物体や物質でない情報的なものと,物体や物質でできた具体的なものとがある.そこで,この具体的な物体あるいは物質からできているものを教具,情報的なものを狭い意味で教材とすると,その区別がはっきりしてくる.つまり教材とは次のようなものである.                .
 「教師が教育目標を達成するために,自然の事物・現象の中から適当と思うものを選択し,これを指導に適するように構成した具体的な情報的内容を教材という」ここで具体的な情報的内容としては,教科書の記載内容や生徒実験の内容,視聴覚教育におけるスライドやビデオテープ等の内容,演習問題などが含まれる.
 理科では自然界の事物・現象を扱うが,これは一般には無数にあって,そのまま直接生徒に提示しても理解されにくいものが多い.そこでこれをある教育的意図のものに構成することによって理解されやすくなり,子どもたちの活動を促すことができる.このなまのままの自然の事物・現象を素材といい,教育的意図のもとに指導に適するように構成したものが教材である.この素材を教材にかえることを素材の教材化というが,これは教材開発の重要な場面になる.
 教具は物体や物質でできた具体的なものといったが,別のいい方をすると教育に必要な物的資料および用具ともいえる.理科教育では観察や実験のために多くの教具を使用するが,その種類は他のどの教科より多いと思われる.
 その点でも教具の活用,開発は理科教師の大切な仕事である.
 ところで教材を具体的な情報的内容いわゆるソフトなものとし,教具を物的資料及び用具いわゆるハードなものとするとこの両者は一応の区別がつくが,同じものでも見方によって教材になったり教具になったりすることがある.スライドのフィルム,0HPのTP,VTRのテープなどはその内容が教育的意味をもてば教材といわれるが,物として見れば教具である.生物の観察や実験に使用する動物や植物,地学で扱う岩石や鉱物√化学で扱う薬品などは通常教材といわれるが,これは観察や実験に使う教材という意味でいわれるので,上の分類からいえば教具に入れるべきであろう.教材と教具はひっくるめて教材教具として扱われることが多いが,はっきり区別して扱うことは可能で、ここではそのように扱うことにする。
 2 教材・教具開発の必要性と開発の視点
 わが国では文部省で作成公示された学習指導要領で,その教科の指導内容が小学校,中学校,高等学校それぞれに応じてきめられ,これに従って具体的な教材として教科書が民間会社によって作成される.この教科書はその編者または著者,それぞれの考え方に基づいている昿基本的には全国的な一般の指導に適するようにつくられている.
 教師が授業をする場合,一度はなるべく教科書に忠実に従ってやってみることをすすめたいが,これは教科書の著者の意図を理解し,自分の指導に役立てるためである.しかし,やってみるといくつかの点でよりよい方法があるのではないかという気がすることがある.これはさきにも述べたように,教科書は一般的な児童や生徒を対象として,一般的な教師が指導することを想定しているが,実際には特定の教師が特定の学校で,特定の児童や生徒を対象として指導しているからである.もちろん教師は教科書に示された教材研究を行って,自分の受け持っている児童や生徒の指導に適するようにしていくか,教材によっては教科書と別の内容のものを考えた方が,指導上有効であると考えることがある.理科の場合,物理的教材,化学的教材でもこのようなことがあるが,生物的教材や地学的教材ではその地域の特殊性をうまく利用できるので特にその傾向が大きい.また教材を研究しているうちに,新しい指導法を考えたとしよう.これに適するような教材は今までのものと異ったものの方がよいとすると,新しい教材を工夫しなければならない.このように教師が教材の研究を行っていると,それをもう一歩あるいは二歩進めた教材の開発を試みる必要性にせまられることがある.そこで教材開発はどのようにするか,その視点をあげてみよう.
 教材開発は教材研究の延長上にあると見られるので,その視点は教材研究とも関係があるが,次のようなことが考えられる,
 1 指導目標を明らかにして,その指導のためにどのような教材が適切であるか考える.
 2 教材の内容や配列が児童や生徒の発達段階を考え,その思考の流れにそうように留意して開発する。
 3 教材が自然科学の基本概念とどのようにつながっているかを検討して開発する.
 4 教材が科学の方法や探究の技法(Process skills)の何の指導に適するかを考えて開発する.
 5 新しい指導法を考えた場合,それに適するような教材を開発する.たとえばプログラム学習を計画した場合,生徒用のプログラムを開発することなどである,
 要するに教師は自分が児童や生徒に何を指導したいのか,その目標をはっきりとらえて,それに適した指導法を考え,もっとも効果的と思われる教材を開発していくようにするわけである.
 次に教具の開発であるが,理科は学習活動に多くの観察や実験を取り入れており,またそうしなくては学習効果があがらない.そこで理科教育振興法乃設備基準にもあげられているように,非常に多くの種類の教具が市販されている,これらを目的に応じて使いこなすことは理科の教師に必要な能力の一つである.そこで実際にこれらの教具を使用してみると,いろいろと不満足な想いをすることがある.これは市販の教具はていさいよくできているが,商品価値を高めるために不必要なものがついていたり,一般性をねらうあまり万特定の目的には使用しにくかったり,生徒実験用として多数そろえるにはあまりに高価であったりすることがあるからである.また教具はあくまでも教材の中に組み入れて使用するものであるから,新しい教材を開発した場合それに必要な教具は市販されていないことがある.
 このような場合,教師は適切な教具を自分で開発していかねばならない.また,教具の開発は教材の開発とともに教師の創造性が発揮されるところで,教師が開発し自作した教具を学習指導に使用することは,児童や生徒の興味を刺激し,充実した授業を行うことができるだけでなく,・児童や生徒の創造性の開発につなぐこともできる.
 いわゆる自作教具は経費の不足を補ったり廃物利用的な意味もあるが,もっと積極的に授業の効果をあげ,作成する教師はもちろん使用する児童や生徒にもよい影響を与えるものである.しかしこれは市販教具が価値がないというのではなく,自作教具にはない長所(たとえば測定器具の精度は自作のものよりはるかに高い)も多いので,それを活用するとともに教師の開発した教具で補っていくことが望ましい.
 教具の開発の必要性は以上のような点から考えられるが,開発の視点を次にいくつかあげてみよう.
 1 教具は教材に基づいて使用されるものであるから,先ず教材を十分に研究して,指導内容に適したものとする.         j
 2 構造が簡単でわかりやすいものにする.
 3 生徒が使用する教具は,使いやすくて丈夫であるごと.
 4 経費ができるだけかからないもの 廃品利用も考える.
 5 一般に入手しにくい特殊な材料を使用することは,是非それでなければならない場合以外はさける.
 6 あまりに多目的なもの,特殊な目的に使用するものはさけた方がよい
 7 定量的な実験に使用するものは,必要な精度を与える.
 3 教材・教具開発の力量をどう身につけるか
 教材・教具の開発は理科の教師にとって必要な能力であるが,これも人によって得意な人とそうでない人とがある.それではどのようにすればその力量を身につけることができるか,先ず教材について考えてみよう.
 1 従来の教材について,その指導目標,指導方法を十分に研究する.教寸詞発は教材研究から始まるものであるから,従来のものの意図,長所・短゛等を十分に研究してそれの改良,あるいは新しいものを工夫する.
 2 自分自身の指導目標を明確にし,その目標が科学概念の指導か,探究こ過程か,それともこの両方かを考え,それによって教材を開発する.
 3 指導目標に対して,どのような素材が教材になり得るか考える.この場合,その地域に関係の深いもの,あるいは特有の素材を教材化することはムヽ結果を生むことが多い.
 4 指導目標を達成し,児童,生徒の関心をひくような観察教材,実験教建.視聴覚教材等にどのようなものがあるか考え,必要に応じ開発する.
 5 素材を教材化したらどのような指導が可能であるか考える.たとえば食塩と水とを使ってどのようなことが指導できるか考えてみるなどである.
 6 理科教育,自然科学関係の雑誌,専門書,児童・生徒向けの科学関係こ言物等を見て教材開発のヒントを得る.
 7 学校内外の研究授業や研究会等に参加して,他の教師の教材観や教材研究の実態を知り,自分の教材開発の資料にする.
 8 新しい指導法を工夫し,それに適するような教材を開発する.たとえ科学史を導入したいと思えば適切な読み物をつくり利用するなどである.
 9 科学博物館や展覧会等を見学すること仏教材開発のヒントを得るのに役立つ.  
 以上あげたように教材開発は,自分の指導目標を明確にして,何を指導したいかをつかむことが第一で,次にそれに適した教材を素材から組み立てていくのが基本である.そして常に教材開発の眼ですべての素材を見るように努力することが必要で,これが同時に教材開発の力量を身につけることになる。
  次に教具開発については次のような方法が考えられる.
  1 指導目標と指導方法√教材との関係をよく考えて,どこでどのような目的に使用する教具かという立場で考える.
  2 市販の教具を使用してみて,そのどこを改良すればよいか考える.
  3 今まで使用されている教具を別の目的に使用できないか考える.
  4 今まで使用されている教具の部分を利用したり,他と組み合せて使用することを考える.
  5 今まで教具として使用されていない材料や薬品等を使用して,新しい.教具を工夫する.たとえば使い捨て注射器で手動式真空ポンプをつくる(石井聖昭・昭和59年度東レ理科教育賞)などがある.
  6 家庭用プラスチック容器等の廃品,市販の台所用品,玩具などを教具 として利用できないか,常に考える.使用ずみ容器なども同形のものが数多 くあると意外と役にたつことがある.(フィルムケース等)
  7 新しい指導法や,教材を工夫したとき,それに適合する教具を工夫する.たとえば化学実験にセミミクロ法を取り入れたとき,実験器具を小型で 使いよいものを工夫するなどである.
  紙面の都合で具体例をくわしくあげられなったが,個々のものについては 理科教育関係の雑誌に関発例がのせられていることが多く,東レ理科教育賞 授賞作品集なども参考になるよ         <千葉大学教育学部講師>

授業を組立てる力どう身につけるか【中学校】(左巻健男)教育科学「理科教育」1987.12 No.244

 はじめに

 関口芳広さんという20代つひとから手紙をもらった.法則化運動に参加している若者である.彼は,私の著書を読んでの感想をくれたのである.
 そこに,「ぼくは,先生より1O歳芳い.10年たったら,先生を追い抜きます」と記されていた.
 私は,新任のころ,科学教育研究協議会の“授業熱中中年“の方々に出会った.彼らは,そろそろ定年を迎えたり,定年間近になっているが,今乱授業への意欲ぱおとろえていたい.いわば,理科授業キチガイである.
 彼らを追い抜こうとは,全然思わ々かった.追いつきたいとは思った.彼らのように,いつまでも授業;こやりがいを感じられるひとになりたいと思った.そこで,関口さんに,次つごうと返事をかいた.

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 ぽくが新任のころ,科教協の先輩たちぱ神"のようだった.追いつけない,と思った.今は,何とかくっついているけれど,スゴイ人たちがいることはたしか.玉田泰太郎氏も,その一人である.
 追いつこうとは思わない。僕は,僕なりの授業をやっていくしかない.
 関口さんは,“追いつぐことを考えるのですね.
 追いつくとか,追いこすという人生観は,一直線上の競争主義のにおいがします.ぼくなら,その道からはずれて,違った道を歩きます.
法則化運動は,誰かさんが“新努力主義"と命名した一直線上のおっかけっこを好む人が多いようです.向山氏など,授業では追いつけるでしょう.でも,あのセンスは,時間をかければ身につくものではないと思います.
 というわけで,関口さんは,10年たってもぼくを追い抜けないと思います.ナーンテネ.
(以下略)
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 私は,追いつく,追い抜く代わりに,開き直って,“コック煮精神”をもつようにした.イイものは,イイ.だから,自分にとってのイイものをゴッタ煮にして,授業をつくろうと,というわけなのだ.
 そんな私が,「授業を組み立てる力をどうつけるか」を語るのである.さ
て,どうなりますか.

  年に一つの単元をがんばる

 欲ばって「アレも,コレも」とやろうとすると,みんなダメになってしまう可能性が強い.
 私は,サークルの仲間だちと「年に一つくらいの単元は,がんばってみよう」と言い合っていた.「焦ることはない,じっくり力をつけていこう」と思ったのである.これが良かった.先ず気分がラクになった,
 担当の学年が決まると,「よし,今年は,この単元をがんばるぞ」と決意する.決意したら,サークルの仲間たちに宣言する.やる9きゃない,と自分を追いこむのである.
 私は,大学でも大学院でも化学と化学教育を専攻した.出が,工業高校の工業化学科だから,化学とのつき合いは長い.だから,はじめは,がんばろうとする単元は,化学分野が多かった.
 次には,最も不得手な電磁気にチャレンジした.
 サークルの仲間だちと,宇宙や生物のテキストづくりもした.
 そんなことを何年か続けていると,中学校の理科のかなりの部分が,一度はがんばうた単元になっていた.
 今では,どの単元も,「こんな授業がやりたいな」という具体的なイメージがおいてくる.イメージがわかない単元は,“骨だけの授業’゛になりがちで,そんなに時間もくわないものだ.それがイメージがおいてくると,“骨にゆたかに肉がついた授業“になって,時間もかかる.時間のやりくりが大変である.

  先ずイイものをマネすることから

 既して,マネをバカにするひとが多い.マネをバカにして,ずっと低いレベルの授業をやっているひとこそ,本もののバカである.
 マネばっかりのひともいる.仮説実験授業学派の「消費者」の方々だ.授業書づくりは,少数の「生産者」のしごとである.
 私の授業は,仮説実験授業がスタートだった.だが,仮説実験授業キチガイにはならなかった.科教協ク)何人かの“先達“に出あってしまったせいもあるし,授業書の「消費者」のままでは,授業が上達しないのではないかと思ったせいもある.
 世の中には,いろいろあるんだ,と仮説実験授業を相対化したのだ,
 世に公表されている授業書なり授業プランは,机上のものは別だが,実際の授業の結果をフィードバックさせてつくられている.だから,下手にいじらない方が良い.いじるのには,それ相応の力量が必要である.
 イイ授業書なり授業プジソを追試するなかで,授業の組み立て方が身についてくる.そういう授業体験だけではなく,授業実践に裏うちされた「理論」や授業記録・授業プラソを学ぶことだ.そうすると,自分でつくってもポイントをはずさなくなる.
 私は,新任のとき,仮説実験授業の「ばねと力」という授業書を使った.
 「ばねと力」の構成は,①地球の引力とばね ②ふつうのものとばね③ばねやものに加わる力 ④3つ以上の力のつりあい,となっている.内容は,地球の引力→磁石の引力→力の原理→万有引力と重さ→力の大小と力の矢じるし→ばねののびとひっぱる力→重さと力の単位→種々のばねとその性質→ふつうのものとばね→ねじりばかりと力の変形→机のはねかえす力→反二-カの伝わり方→3つ以上の力のつりあい→力のたし算→浮力や滑車への視わたし,という流れだ.
 これは,仮説実験授業の草創期に板倉聖宣さんが,上廻昭さんや庄司和晃さんらとっくりあげた授業書である.この授業書には,それまでの力学教育ご裳果が盛りこまれているとともに,板倉さんの科学史研究の成果が存分に舌かされている.しかも,教育実験として,何回もの授業をもとにしては改善を加えて,つくり上げたものである.この授業書こそ仮説実験授業の典型であり,代表である,と私は考える.
 新任のとき,この授業書をつかった授業をやったのは,私にとっていろいろな面でプラスになった.
 授業とはどんなものか,子どもの認識をさぐるとはなどの問題意識が生じt.とくに仮説実験授業というと,あの独特な授業運営法に目がいきやすいが、ポイントは,子どもたちカレ「予想」の段階から科学の最も一般的で基礎釣な概念・法則・理論を想定した「仮説」をもつ段階にまで引き上げるために一連の問題を課すというところである.だから,授業の組み立て方について,多いに参考になるのだ.
 私は,若いひとたちに,「『ばねと力』だけは,一度は授業にかけてみなさいよ」とすすめている.              ‥

  力の導入をどうするか

 さて,それでは,私が「ばねと力」に相当する中学校1年の「力」の単元をどう組み立てているかを語ることにしよう.
  「ばねと力」で,最も印象に残ったのは,「力の原理」である.
  「力の原理」とは,
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1 ものに力が加わると,その力の方向に動きだします.
2 反対向きの二つの力が加わっていて,一方の力が大きければ,大きな力のほうに動きだします.
3 止まっているものに加わる二つの力が反対向きで大きさが同じならは、そのものは動きません。
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というものである.アタリマエといえばアタリマエの内容であるが,この内容を承認することと自然界にこの原理を適用できる,使えるということとは全く別である.
 もう一つは,「物質のばねモデル」である.「どんなものでも,ばねの性質をもっ七いる」ということで,抗力概念を直感的に理解するのに役立つ.
 この二つは,私の「力」の授業の組み立ての中核として欠かせないものだ.さて,「ばねと力」が最高の授業書で,これ以上のものはない,というならいつでも「ばねと力」をやることにしよう.
 しかし,授業をしていて思うことは,「力の原理」を,いざ適用する段になると,原理を適用せずに,常識的・直観的判断にたようたり,その結果に対する納得がとても弱いということだった.
 「ばねと力」の常識的直観が敗北する最初の実験問題をみよう
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 ばねに加わる力に注目して「力の原理」を適用すると,AもB屯,ばねの両端に加わる力は同じ大きさだから,同じのびというように考える.その際,Bで,ばねを左の方に引く力は常識的・直観的にはわかりづらいが「物質のばねモデル」による抗力概念でイメージできるというのである.
 「ばねと力」の授業書の流し方では,実験結果として常識的直観派が敗北しても,討論の段階で,はたして力の原理派が相手を説得できるかというと,つらいのではないかと思う.この問題でいえば,私は,Bのおもりのない側が固定されているところに着目する.ひもが固定され七いるところを引っぱれば,そこは少し変形して,ひもを引っぱり返す.Bのばね乱左の方に引っぱられているとみることができれば,そのとき「力の原理」が適用できなくても,「力の原理」派の言いぶんを納得しやすい.すぐ原理を,では
なく,先ず現実をみるのである.
 「力の原理」は,動力学的内容をふくんだ原理である.力には,運動状態を変えるはたらきもあるが,物体を変形させるはたらきもある.
 もっと,「変形」を前面に出すことで,力を実感的に理解することができるのではないか.そんな問題意識で,理科教育界をみわたすと,極地方式研究会の「変形と力」とか玉田泰太郎さんらのプランが目に入ってくる.

  「ばねと力」のように,「物質のばねモデル」のお話をするのではなく,「あらゆる固体がばねの性質一弾性-をもっている」ことを,実験もふくめてとり扱うものだ.物と子どもたちのかかおりあいを重視したものである.

その後,私の授業の導入部は,概略次のようになった

 子どもたちにエキスパソダーのばねをみせる.のばしたり曲げたりしてから引き伸ばしている状態で「さて今日の問題.こうしているとき,ぼくの手はエキスパンダーのばねに力を加えているか」と課題をだす.「物の変形と力」のスタートである.ばねをもとにして,弾性・弾性限界・そ性を教える……

 次の時間には,ガラス棒や鉄棒をぶら下げて教室へ向かうに「君たちのまわりにある物で弾性があるものを探せ」と指示.子どもたちは,いろいろな物で,力を加えて変形するか,力を加えるのを止めると元の形にもどるかを実際に確かめている.いろいろな物の名前があがる.そのうえで,弾性がないと思いやすいガラス棒や鉄棒を扱う.「このガラス棒に弾性はあるか」「この鉄棒に弾性はあるか」という課題をだすのだ.子どもたちは,生活経験をもとにしたり,今までの授業で学んだことから考えたりする.
 3時間目には,ピアノ線やレーザーの装置などをかかえていった.レーザーの装置は,光てこの光源に用いる/机に力を加えたときの変形を拡大してみせるのである.

この授業も,次回にはさらに改善されることだろう.

 おわりに

 私が試行錯誤中の「静力学」を題材にして,私がどう授噺を組み立ててい
るかを述べてみた.少しでも役に立てばいいなと思う.

授業を組み立てる力どう身につけるか【小学校】(岡田 良治)教育科学「理科教育」1987.12 No.244

 はじめに
 理科の授業を参観させていただく機会は多い.事前の準備が行き届き,授業は先生と児童の問答のやりとりで順調に進んでいく.実験の方法も先生が予め大きな模造紙に順序よくまとめられてお呪児童はそれを見ながら実験活動に入る.結果はどのグループも同じようなのがバッチリ出た.それらの芒果をもとに,先生が「今の実験でわかったことは?」とたずねると,いくっかの手がさっと上がり,先生の期待したとおりの答が返ってきた.参観の先生方の中には感心したような,満足したような顔をしている人もみえる.しかし,この授業は先生が本時でおさえようとした学習内容にはゴールインしたであろうが,それが一人ひとりの児童にどれだげ吸収され,児童の納得そ’るものとしてとらえられたであろうか.積極的に挙手した児童を中心とする何割かの者だけに身についたにすぎないのではなかろうか.もしそうならよ,それは授業の組み立て方に問題があったかも知れない.教師は事前に一人ひとりの児童がそろって学習にかかおる授業の組み立てを考えたであろうしか.また,目標達成の手だてをどのようにし,この授業を通してどんな力を児童に培おうと考えていたのであろうか.
 授業の組み立ては展開もさることながらいろんな要素を念頭におかなくてはならない.たとえば,          十
 ①すべての児童に何をとらえさせるのか(学力保障)
 ②どのような能力を培おうとするのか(成長保障)
 ③それには,どのような教材を持ち込むのがよいのか(教材の設定)
 ④どのような場の中で,どんな活動をさせるのか(個の確立)
 ⑤教師のはたらきかけは,どうあるべきか(教材と児童へのかかおり)
等々,心がけるべきことがらぱ数多い.以下,標題につしヽて事例をあげながら考えるところを述べてみたい.
  1 日標の設定
 授業を行うに際しての目標は,児童にとらえさせたい自然認識としての目標と,授業を通じて児童に養っていきたい物の見方,考え方,扱い方としての能力的な目標とがある.このほか,自然に対する興味・関心・感動する豊かな心なども目標に含まれる.
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 (1) 自然認識としての目標 この目標は達成目標といわれるように学習内容としての知識・理解が中心になる.これについての目標設定にあたっては,指導内容ことになる.基礎・基本とは何か,両者をはっきり分けることは困難であるが,1つの考え方として水平・垂直構造として考えることができる.水平構造とは例えば,1年のアサガオの成長過程と折々の世話,2年のヒマワリの育ちと日,当り等,1年から6年までの一連の積み上げである.垂直構造とは生命を基盤に植物教材を貫ぬく発芽から成長,繁殖としてのサイクルと,それにかかおる水,空気,温度,日当り,肥料,土等の環境としての要因である,要は認識の連続と発展を十分意識して目標設定を行うということになる.
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 (2)科学する力
 科学する力とは,いいかえれば自然を調べる能力や態度といえる.この能力は形として外からは見えないだけに,授業の際,知識・理解の目標に比べその力点が軽くなることが多い.しかしながら,この能力こそが理科学習を支えるものであり,児童の成長保障として指導の過程を通してしっかり育てていかなくてはならないことがらである.
 この能力は大きく分けて,思考・判断にかかおるものと操作技能にかかおるもの,それに,自然の事物・現象に目を向け,取り組もうとする「いどむ心」としての態度的な面とがある.
 思考・判断には,事物・現象を比べ,共通点や差異点を見つけること,部分と全体を関係的に見ること,事物・現象の中にみられる相互関係や規則性を見出すこと,わかったことを他に適用することなどがある.自ら自然を追求していく力を育てるにはこのような推理,判断,関係づけ等の思考活動を授業の中に位置づけていくことを十分意識する必要があろう.
 さらに,児童が科学的に学習を行う視点としてに筆者の学校では下の3つのことがらを学習の姿として現われることを期待している、
 ①みつける.  ②いかす.  ③すすめる.
 「みつける」は,疑問や矛盾を見つける,多様な発想や情報・資料を見つける,問題解決後さらに新しい問題を見つける等である.「いかす」は問題解決にあたり,過去の学習経験やコミュニケーションの交流から考えを改め,深めていくことであり,「すすめる」は追求活動をすすめていくことで,学習に対する意欲と解決への見通し,計画とその具体化等をさす.これら3つは学習のプロセスを表すものではなく,学習の過程の中で必要に応じ児童の活動として現われることを期待している.
 追求する子ども像としては,「もとめる子」「あらわす子」「つなげる子」「試み,たしかめる子」「まとめる子」など,一連め活動が学習の姿として出てくるよう指導の中ではたらきかけていきたいものである。
 (3)目標の具体化  
 授業の組み立てにあたっては,以上に述べたように単元め内容面からと児童につけたい能力面からの両視点で考えることになるが,目標の具体化については単元の指導内容から洗い出す作業が必要になる.これについては参考文献が数多く出ているので,それらをもとに指導者のねらい合ったものをつくり出すようにすればよいだろう.
 下は6年「草むらや林の植物」の単元を観点別に目標をあげたものである
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 2 教材の選定
 一般に生物を扱う単元はやりにくいといわれる.それは適切な素材が身近に得られない,指導のタイミングを合わせにくい,数が多く必要,植物については児童の関心がうすい,探求の過程にのせにくい,などがその理由と考えられる.しかし,指導者の見方,やり方を変えればこれらの問題も乗り越えられるものである.「草むらや林の植物」もやりにくいといわれる単元の1つであるが,目標に照らして適切な素材と場を見つけてみよう.
学校の運動場や中庭には,いくら都会の中といっても必ず草むらや樹木があるものである.それらは運動場のすみや建物の周り,遊具のあたりなど,いくつかの場所で見つけられる.また,草がむらかって生えていたり1木立ちの樹木や2~3本くっついて植えられていることもあろう.さらに,一歩学校を出ると、地域に応じて野原や川原、公園等もっと多様な場所見つけることができる.下はそんな場所での事例である.
〇こんでいるところ
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〇林の外側
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 セイタカアワダチソウの群落を観察し,育ちの様子が日当りや互いの影響のし合いに気づいた後,林の木々の育ちも同じようなことが見られるのだろうか,ということになり,学校の近くの小さな林を調べることになった. このとき,問題意識として,日当たり,温度,しめりけ,下草の様子等に目を向けようと児童の話し合いの中から観察の視点が出てきた.
 3 授業展開と形態
 理科学習は基本的には問題解決型ですすめられる.いわゆる問題把握から課題の明確化,予想・仮説,観察・実験,結果の考察こやまとめ等の過程を歩みながら自然のしくみやきまりをとらえていくとともに,自然を追求する態度や能力を培っていこうとするものである.ところが,理科は問題解決型の学習でなければとか,探求のプロセスでなければと強く意識しすぎて,児童の実態や教材の特性を軽んじてしまうことはありはしないだろうか.
 (1)児童の実態をふまえて
 小学校1年生の児童に上のような学習過程を持ち込めないことば誰れもが承知していることである.低学年の児童には課題をつかんでも,それに対する解決への手だてや見通しを待った上で対象にあたることはできない.彼等は「考えてから歩くのでなく,歩きながら考える」という時期だからである.例えば,「動くおもちや」の単元では,教師が見せる演示を見て「やってみたい」「わたしにも出来そうだ」と活動への意欲を高め,自分なりのイメージをもとに,作る→試す→作り直す→試すを繰り返す.この間に,彼なりに考え,工夫し,周りの情報をとり入れ活動に没頭する.そして,この過程で考える力や情報を処理する力,ねばり強く取り組む意志や態度,手先の技や操作する技能等,理科的な総合力が身についていく.
 こう考えるならば,低学年には活動の内容とレベルと,教師の投げかけ,励まし,個別的指導形態等,授業の組み立てにあたって考えておかなければならないということになる.中・高学年においても児童の実態を十分把握した上で指導に臨むことは同様である.
 (2)児童に根ざした授業を
 先に述べたように,問題解決の流れが絵に描いたような授業を見ることがある.このような授業を見るとき,教師の指導技術のサイドから見るのと,児童の立場に立って,児童にはこれでよいのかと見るのとでは見え方,感じ方がずい分違ってくる.教師に目を向けたとき,よく洗練されていると見えた授業でも,それは問題解決というコースを脱線しないで見事にゴールインしたというだけで,満足感,充実感を味わっているのは当の教師と一部の児童にとどまっているに過ぎないということはありはしないか.こうならない為にも「わたしの学習」が成り立つよう考えねばなるまい.それには,次のような留意点が考えられる.
 ①一斉授業の中にも,個別活動の時と場を保障する.②学習の過程に「考えて書く.人に話す.人と話す」場を必ず入れる.③児童の体験や経験をとり上げ,授業に生かしてやる.④学習したことがらを「わたしのことば」でまとめさせる.⑤自分の学習をふり返らせる.
 (3)教師は目標を,児童には目的を.
 指導案には「……に気づかせる」とか「……ができるようになる」とか教師サイド,児童サイドの目標があげられているが,指導案を指導者の手引き,参観者へのガイドと考えるなら,大人には授業のあらましは分っても,児童は先生が何を意図しているか知りようがない.児童には学習活動として出来るだけ具体的に本時は何のために何をするのかという目的をはっきりさせてやりたい.少なくとも,先生のいわれるままにやっていたらゴールイソしていたという授業にならないようにしたいものである.
  おわりに
 授業を組み立てるにはどうすればよいか,ということで以上述べてきたが,これらは,いねば当然のことで特に新鮮味はないかも知れない.しかし,楽をしてよい授業を組み立てる方法などあろう筈がなく,また,人の真似をしてもそれと同じ授業にはならないものである.要は自分なりにいろいろ考え試してみること,そして,自校・他校を問わず多くの授業を問題意識をもってみることではなかろうか.その中から必ず自分なりの持ち味を生かした個性的な授業が生れてくるものである.
          <大阪府池田市緑丘・大阪教育大学附属池田小学校>

素材選びの力量どう身につけるか(鈴木清龍) 教育科学「理科教育」1987.12 No.244

 1 直観的に“素材とは何が
 いつも新しいアイデアにみちた授業をつくるK先生と話しあった.「素材って何だ,素材の教材化というコトバがでているのだけれど乱」「これは授業に使える!」「これで何かやれそうだなー.」「これがあるとあそこの授業がうまくやれる!」という勘が働らくのが素材だという.まだ授業に使ってみないのだけれど,ものがあるとイメ-ジがわいてきて,構想が具体的になってくるのだという.物と授業が通っているのだ.
 私たちの仲間の先生はいろいろなものをみっけてきて自慢をする.よくはずみそうだが机におとすとポトフとくっついたようになって,はねかえらない玉.何に使うの? これから考える.(だけども彼の頭に牒授業とのつながりがつきかけているにちがいない.)デパートに行ったら,オモチャ売場や食器・家庭用品のフロアー,街を歩いたら金物屋や文具店,アイデア商品の店による.上京したら東急ハソズや秋葉原,合羽橋で有金をはたいてくるといった仲間たち.日曜大工の店が大好きな仲間たち.“物ども”のタレントをピンと感じとって,授業の舞台にのせるのは,俳優を育てるのがうまい演出家と同じだ.
 2 たてまえ的に“素材の教材化”
 素材というコトバが,とりたてて出されてくるのは,52年の学習指導要領が契機になる.それまであった特定の素材(たとえば頭酸・石けん・イネ…など)の表記がなくなった.昭和53年に出た小学校指導書理科編(文部省)」では,指導要領改訂の要点として,「各地域の自然環境や児童の実態に即し各学校における創意を生かした教育課程を編成し,指導の工夫ができるように内容の取扱いにおける留意事項の記述は最小限にとどめ,学習指導に用いる素材の表記は行わないことにした」と書いている.
 昭55年にでた文部省の「指導計画の作成と学習指導(小学校理科指導資料)」でも「素材の表記のないことから,モの地域の自然環境から適切な素材を選択したり,内容の教材としての意味付けを検討することによって,これまでに扱われてきた素材を見直したり,新らしい素材を積極的に開発したりする.ややもすると,これまでにあった素材の扱い方から脱し切れない場合があるが,内容の検討から始めて,児童の創意が生かされ,学習上の効果が上るような努力をしたい.例えば,B区分の内容にある「物」について言えば,それを一つにするか,複数にするか,あるいは,物の提示を順序付けることによって一般化を図るかなど,教師自身の創意にまつ面が多い.」と述べている.教師の創意ある実践を期待している.
 同書には各学年の指導事例が学習指導要領の目標と内容,素材の選択,児童の実態の想定,指導計画,実践と考察という構成で例示してある.
  第1学年 草や木の実と落ち葉
  第2学年 おもりで動くおもちや
  第3学年 空気でっぽう
  第4学年 流れる水のはたらき
  第5学年 星の動き
  第6学年 植物とその環境
  第6学年 地層
 だから,上の題で各自指導計画を作って,比較検討してみるのは創意くらべの演習課題として面白い.ひとまず,上のそれぞれで,何か素材か考えてみていただきたい.できるだけ,異をたて,こだわること.たとえば,星というと太陽や月ははいるのか,「星」なのか「星の動き」なのか,など.
3.「空気てっぽう」の素材はなにか
ズバリ、第3学年「空気てっぽう」の事例で考える
学習指導要領の目標・内容・第3学年の内容B(1)
閉じ込めた空気に力を加えたときの様子を調べ,空気に弾力性があることを理解させる.
 ア 空気を圧し縮めると,かさが小さくなるが,手ごたえは大きくなり,元にもどろうとすること.また,この性質を利用して物を動かすことが,できること.
 イ 空気は圧し縮められるが,水は圧し縮められないこと.
 この目標内容でのおもな素材は何だと考えますか.この目標内容で,もし教科書を書いたとして,題を何とつけますか.(現行の6社で,4種の題名があります.)
   「紙玉でっぽう」  信濃教育会
  「空気でっぽう」  東京書籍・大日本図書・啓林館
   「空気と水」    学校図書
   「空気のはたらき」 教育出版
  「指導計画の作成と学習指導」のこの部分の筆者は次のように書いている.
 「閉じ込めた空気に弾性があることを理解させるには,
① 空気を閉じ込める物が必要である.(筒)
② とばすものが必要である(玉)
①の素材としては,ポリ袋,ポリ容器,空気でっぽう,注射器,かん腸器などが考,えられる.
②の素材としては,紙,野菜などが考えられる」と.そして,透明な筒を使った空気でっぽうを全体を通して使い,ジャガイモ玉とキウリ玉を比較して玉のとぶわけを追求する。
4 「国民学校理科」の克服
  「紙ダマ鉄砲」という題の教材は戦時中の昭和15年,国民学校初等科理科4年にはじまる.類題でいまも生命を永らえている.教師用書の目的には 「紙ダマ鉄砲」(5時限)」「目的・紙だま鉄砲をつくらせ,たまをうって遊ばせる間に,工夫・考察の力,ものごとをきぱめる態度を養ひ,空気の存在,空気の圧力の利用について知らせる.」となっている.
 竹で紙だま鉄砲をつくり玉がよくとぶように工夫すること,なぜ玉がとぶか考えることという目的・目標.・学習活動がセットになり分離できない強制力をもつことにたった.(ほかにも「おきあがりこぼし」という教材がありいまの「おもりで動くおもちや」となって生きている.)おしちじめられた空気の弾性を教えるのならもっと別な方法があるではないかという教師の疑問に対して「つくる活動と工夫をとおして」でなければならぬという思想が権威をもった。
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 しかし,国民学校以前は,明治41年以来の尋常小学理科書では「空気の性質」という題で,「要旨」として「空気の性質を教え,之によりて気体一般に」性質を知らしむ.」「教授事項1空気の場所を占むること 2空気の圧縮せられ易きこと」があげられてあり,「実験」として,BとCが例示されていた.それより以前の,たとえば,後藤牧太等の「小学校生徒用物理書明治18年」(気体の性質)には,B(但しフラスコではなく,びん)とDの空気鉄忿で,空気の圧力を教えるようになっていた.Aも多くの教授法参考書にのっている。
5 日標・内容の検討・科学と児童の実態に即して
 昭和34年学習指導要領で「押しちじめられた空気がもとにもどろうとする力は,手ごたえや力を受ける物の動きでわかる(小3,   B(2)イ)」となったのに,あいかわらず,紙玉鉄砲でなければならないとする主張に対して高橋金三郎(当時東北大)は,「新らしい紙玉鉄砲」としてマヨネーズの容器を使った方法を提案した.(昭和38年「やさしくて本質的な理科実験」第1集・科は,ポリ容器を押したら空気が物を押すことがよくわかる.管の方はマッチとのまさつがなくよく飛ぶ.コルク栓を殺す(やおらかくする),ボーラーで穴をおけるという化学者の基本操作を学ぶ。
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(これまでの紙玉鉄砲のとぶわけは教師もよくわかっていない.空気の圧縮されて押しかえす力だけではなく先玉は静止まさつで止っていて,動きはじめてからの運動まさつが小さいので加速されること,そのためには,ある距離が必要なことなど)何のために,何を,どう教えるか,を科学にてらし,子どもに教えてみて考えるという研究運動がようやく力をもちはじめた.
 「おしこめられた空気」を素材として,それが示す現象が学習の対象になるのなら,そのことを子どもたちはどのように知っているか,それを子どもたちに聞いてみよう」「空気をいっぱいつめこんであるもの,つめこんで使うものはどんなのがある?」
 「タイヤ」「何の」「自転車にきまってるi 自転車やバイクも」「ポンプで入れる.」「ガソリンスタンドで入れる」「スプレー」(気体の種類なんて気にしていない)「ダイバーの背負っているやつ」「酸素ボンベ」「浮き輪」「空気枕」「風船」「ビーチボール」「ゴムボート」ドプール(庭で使う)」「足でふむ(ポンプのこと)」「エヤマット」「救命胴着」「飛行船」「アドバルーソ」「コンクリートこわす」「ダダダつてやってる.」「あれ,モーターとちがう?」
 このような子どもだちとのやりとりのなかから,大きなビュール袋に小さいビ弓-ル袋に空気を入れたのをつめこむととても丈夫にできる工夫がうまれた.(「空気に構造をつくる」といっている)この方法も,トいくつかの教科書にとり入れられている.
今,高価な注射器やかん腸器(こわれやすい)にかわって,使い捨てのプラスチック注射器が容易に入手できるようになった.指導要領では「圧縮されたときの弾性」だけをいっているが,「ひっぱったときの弾性」はとりあつかえないものだろうか.昔の教科書では「空気の圧力」は「大気の圧力」とあわせてあつかっていたこともある.小学3年ではやりすぎになるか.と,目標,内容は新らしい方法とあわせて検討されてよい.わかって面白いというのなら大胆に試行して評価をうけるべきだ.
 6 教科書,そのストックの活用
 目標・内容の吟味,教材化・授業での検討のサイクルは教科書にも反映する.教科書は素材の教材化された最大のストックだ.指導要領の目標内容に即するという一定の制約はあるにしろ,手っとりばやく現在の水準をクリヤーするには教科書をみわたすのが近道である.いうまでもないが,小学校で;ま,東京書籍,大日本図書,学校図書,啓林館,教育出版,それに信濃教育会の6種である.(中学校は信濃がない)といっても書店では取扱わない.教科書納入業者にきくか,教科書販売所に注文する.
 教科書展示会の会場校で保管しているのを借用するのもいい.
 個人で購入するくらいの熱意がなくて,研究成果は望めないと私は思う.
 全県統一採択に近い状況で,他社の教科書なんてかえりみない無関心無気力から回復しよう.
 7 「ものみなすべて」の発想
 理科で学ぶことは,人類が永い間に大自然から学んできた事実・概念・法則の基礎基本・エッセンスでなければならぬ.とりあえず自分が教えたこと (知ったことでもいい)で,ものみなそうか,と考えてみることは素材の発 掘,発見に役立つと思う.たとえば,三態変化で.固体の物質はみんなとろ けるか.鉄は? 金は? ダイヤモンドは.気体はみんな液体になるかレ空 気は,酸素は,ヘリウムは?.こんな問いを発するなかで,液体窒素を使う という実践が生まれた.「花の役割」を教える.「花が咲くと実ができ種子が できる.」花が咲くのはみんな実ができるか,種子ができるか.チューリップは,ジャガイモは? と自らに問いかけ,子どもにも聞いてみ七,そこから 新らしい授業がうまれる.野菜-ダイコン,ニンジソ,トウモgコシに種子 がある? 花が咲く? こう問うて,「花が咲くと実がなり種子ができる」 というルールが確かになっていく.無花果(イチジュク)にも花が咲くので はないか本当は?と考えて調べてみる.例外でなトことに喜ぶ.
  知識を一般化した命題にし,そこに適用される事例の範囲を拡張する.それは,目標に対しての内容をひろげることになり,素材のサーチを促す.そのようなサーチをいくつかやると,自分がある対象世界について何と少 ししか知らないかに気づく.元素すべてというといくつある?100種.その うち金属はいくつ?→周期表.動物すべてと考える.何種ある?どんな仲 間に分けられている? 大ざっぱでいいのだが.(植物も)→理科年表に 生物の部がついている.「動物はエサを食べて生きている」「うん」「ではみんなロがあるか,肛門があるか,消化管があるか,ウソコをするか.」「だんだんあやしくなってきた.自分もわからないけれど,子どもはどうかな.」
  こんなことも,問題づくりという形をとった素材探索であるといってい い.さて,この節で「固体は液体になる」とか「花が咲くと実がなり種子が できる」とか「動物はすべてウンロをする」というように,命題表現の形を とった.そうすると,その場合の,事例を考えやすくする.(一般的なフレー ル表現で,事例を代入して点検できる.それ払 目標に対しての内容の検討の手法である.(ふれるだけに止める.)       <宮城教育大学教授>
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