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20年を振り返って

2012年7月29日 (日)

20年間を振り返って その4

倉本聰は次のような言葉を残している

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今日だけを生きている若者がいる
明日を気にしている若者がいる
未来を考えている若者がいる

不安でいっぱいの若者がいる
不安を忘れようとする若者がいる
不安と闘っている若者がいる

叱られたことのない若者がいる
愛したことのない若者がいる
信じたことのない若者がいる

やさしさを知らない若者がいる
やさしさを忘れた若者がいる
やさしさを誤解した若者がいる

闘いを避けてけている若者がいる
闘いを見るだけの若者がいる
闘いにとぴこむ若者がいる

敗北を知らない若者がいる
敗北を恐怖する若者がいる
敗北がいかに貴重かということを
 考えようとしない若者がいる

目的を持たない若者がいる
目的を探している若者がいる
目的に向っている若者がいる

感動を知らない若者がいる
感動を知っている若者がいる
感動を求めている若者がいる

坐って待っている若者がいる
待っていれば誰かが与えてくれると
 巣の中の雛のように待つ若者がいる
待っていても何も始まらないと
 必死に跳ぽうとする若者がいる

そんな若者の
せめて何人かに
今この俺の
してやれることは何か

           倉本聴
‐-書籍『谷は眠っていた』より

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 これは私が20年間教員として生徒を見ていたときに思ったことと同じです。そして、北海道モデルロケットクラブ(HMRC)の活動も私が36歳から始め現在55歳となった今、やっと若者に何かしてやれることがないか見つけ始めているように思えます。理事の駒井勝氏も70歳をこえましたが、元気です。私は倉本聰との再会で「70歳まで北海道モデルロケットクラブ(HMRC)の活動を続けます」と言いました。あと15年あります。北海道モデルロケットクラブ(HMRC)の後継者が生まれるまでは活動を続けます。そして毎年「モデルロケット北海道大会」の企画を立てたいと思っています。

2012年7月21日 (土)

20年間を振り返って その3

 北海道モデルロケットクラブ(HMRC)の活動を倉本聰と比較してみよう。

 20世紀の倉本聰の活動は1984年に私財を投じて開設した脚本家や俳優の養成施設ろして富良野塾を開校。2年間共同生活をしながら、脚本の創作や俳優としての稽古をする。授業料は無料だが、地元農家から依頼される農作業で生活費を稼いでいる。2010年4月4日、25期生卒塾をもって閉塾。卒業生は375名を数えた。

富良野塾起草文から、

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 あなたは文明に麻痺していませんか
 車と足はどちらが大事ですか
 石油と水はどちらが大事ですか
 知識と智恵はどちらが大事ですか
 理屈と行動はどちらが大事ですか
 批評と創造はどちらが大事ですか
 あなたは感動を忘れていませんか
 あなたは結局なんのかの云いながら
 わが世の春を謳歌していませんか

 倉本聰 記
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 これが倉本聰の富良野塾の原点になる。このころの北海道モデルロケットクラブ(HMRC)の活動は1992,1993,1994年の3年間に集約される。

21世紀は2006年NPO法人C.C.C 富良野自然塾発足

 富良野自然塾は、富良野プリンスホテルゴルフコースが閉鎖するのに伴い、そのゴルフ場跡地を植樹により元の森に再生しようと活動を始めました。(自然返還事業)
 また、その森林再生の場を中心として、『地球』・『五感』をキーワードにした心に響く体感的なプログラムを子どもから大人まで、日本から世界まで広く届け、より多くの方々に地球環境と私たち人類の生き方を見つめ直してもらうべく環境教育活動をしています。(環境教育事業)
 この2つの事業により、私たち人類の未来を左右する環境問題の解決に努めています。

2007年 冬 富良野自然塾 季刊「カムイミンタラ」創刊号 巻頭言

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空気に触ったこと ありますか
川の匂いを嗅いだこと ありますか
森の声を聞いたこと ありますか
闇を見たこと ありますか
大地の味を知っていますか

あなたは地球を感じていますか
あなたは宇宙を忘れていませんか

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そして上記が倉本聰が主宰する富良野自然塾の原点です。北海道モデルロケットクラブ(HMRC)も気分を新たに活動を再開し2008年には「夏休みモデルロケット教室」をおこなうことができた。

2012年7月17日 (火)

20年間を振り返って その2

 2003年モデルロケット北海道大会を主催したあと、ホームページ上でも20世紀のモデルロケットと21世紀のモデルロケットと分けた。実際に大きな世界的変革があったのだ。その経緯となったのがStuart Lodgeが2004年にだした「The Model Rocketry Handbook 21st CENTURY EDITION」で144ページに凝縮されたHandbookでありこれが最新のModel Rocketryの聖書となる。

 話が変わるが1994年に倉本聰主宰の富良野塾を応援する富良野塾クラブの会員になった。倉本聰は北海道の生の生活を伝えたTV番組「北の国から」の脚本家である。そして自らが富良野に移住し演劇、脚本を目指す若者を無料で指導することを考えついた。それが富良野塾であった。妻も1998年に富良野塾クラブの会員となり演劇「走る」を二人で富良野にあった富良野塾演劇場で観劇した。この時、終演後、富良野塾生との交流会で倉本聰と歓談することができた。有意義な教育論の会話だった。

2005年3月
 教員を辞職して自由な時間が作れたので、富良野塾20期生も卒塾公演「ニングル」の26日初演と27日卒塾公演本番を観劇後、富良野演劇工房のラウンジで倉本聰と再会した。この時「私は北海道モデルロケットクラブの活動を70歳まで頑張ります」と握手をした。倉本聰はただひとこと「がんばってくださ」とギュと手を握り替えしてくれた。倉本聰との再開後、今まで直接は会っていないが「森の時計はゆっくり時を刻む」を座右の銘として活動を続けている。

 話を戻して、21世紀の北海道モデルロケットクラブ(HMRC)の活動だが会員が道内各地に散らばっており、また打ち上げ会場の手配等でなかなか大会が開催出来ないことが多かった。

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2005年5月12日(木) 

北海道モデルロケットクラブ(HMRC) 2005年度初テストフライト
打上場所 札幌市立あいの里東小学校前
打上実験者 HMRC会長 佐藤 吉男、HMRC理事 駒井 勝 2名
 実験内容 「中外化工株式会社社長 齋籐 一雄氏より送られた                    Made in Japan 難燃紙「リカバリーワディング」フライトテスト
               気温 15度 地温 24度
               風向き 南東の風 MAX 3.8m/s Min 0.2m/s Ave 0.0m/s
               実験機体 A8-3 長尾氏作成レギュラーエンジン用自作機体
                          パラシュート回収 実験成功
                    B6-4 スターターキットペイロードタイプ(タイタンⅢEミニチュア搭載)
                          パラシュート回収 実験成功
                    A8-3プラスB6-0を使用した2段式ロケット
                          ストリーマー回収 実験成功
                    C6-4 長尾氏作成C型エンジン用自作機体
                          パラシュート回収 実験成功
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0512test3



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             実験結果検証
             ペーロードタイプにては、ワディングの放出される様子が視認できたので
               「2005年モデルロケット北海道大会in摩周」にて公式に使用する
               ことを決定しました。

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(株)道新文化センター主催 夏休みモデルロケット教室」 

日時 2009年8月13日(木) 9:30~15:30 天候 小雨 風速5.0m/s

札幌市立八軒中学校  〒063-0848  札幌市西区八軒8条西8丁目1-1

①参加年令:小学生(ただし、小学3年生以下は親同伴)

②使用モデルロケット:エステス社製・アルファⅢ

③講習内容

  9時30分~:モデルロケット製作

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A:モデルロケットエ学

  1,ロケットの推進原理.作用・反作用 風見効果について

  2,宇宙へ飛び出すには(第一宇宙速度秒速7,9km)

  3,無重量状態は何故起きるのか.自由落下の法則

  4,モデルロケットの基本構造

  5,モデルロケット・エンジンの基本構造(A、B.C,D型の意味,卜ータルインパルスA8-3な     ど数字の意味,燃焼時間の計算法 ブースターエンジンの数字0の意味.イグナイターの構造について)

  6,モデルロケットを打ち上げる方角について,風見効果とパラシュートの関係による定点着地について

  7,高度の測定法,測定地点について

  8,リカバリーワディングについて

  9,モデルロケットの安全装置について(セーフティーキー,発射角度30度まで)

  10,多段式,束ね式について

  11,自作ロケットの基本について{重心C.G..圧力中心C.P.,ストリングステスト,カードボー    ド法}

12時:昼食、ロケットの接着剤乾燥時間を兼ねる

12時45分 モデルロケットの打ち上げの注意事項などの説明

     B:安全な取り扱いについて

     火薬類取締法に基づく日本モデルロケット協会の自主消費基準を学ぶ.点火者の位置,待機者の位置,見学者の位置,打ち上げ準備所の位置について,消費場所で守ること

13時15分 グランドへ移動(荷物をすべて持って)

13時30分 モデルロケット教室参加者による定点着地競技

       (小雨のため試技は1回のみ)

14時30 表彰式、HMRC駒井理事より副賞贈呈

   HMRC佐藤会長より、第4級ロケット総合教育講習履修証授与

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2012年7月16日 (月)

20年間を振り返って その1

 1991年日本宇宙少年団が初めて日本でモデルロケットのアルファー3を打ち上げその年NPO法人日本モデルロケット協会が山田氏、斎藤氏の2人によって発足し、ライセンス制度と協会公認のモデルロケットエンジンと機体の販売を開始した。
 1992年札幌市立八軒中学校の科学部が中学校のグランドでモデルロケットを打ち上げ開始した。当時学校という組織の中で唯一モデルロケットの科学的検証をおこなっていた。この年「ズームイン朝」の生放送に出演し水ロケットの打ち上げとモデルロケットの打ち上げを全国生放送した。また、朝日新聞の1993年 平成5年)10月26日(火)の朝刊全国版に規制緩和ーファックス投書からでモデルロケットが取り上げられた。
------------記事内容------------------
モデルロケット『危険』理由に夢奪う

「本物そっくりのモデルロケットの打ち上げに使う火薬燃料入りのエンジンは、火薬が規定量を超えると十八歳以上の大人でないと自由に買えず、打ち上げもできない」。宇宙への関心が高い中高校生や教師らが法規制の緩和を訴えている。

「スターティング、カウントダウン(秒読み開始) スリー、ツー、ワンイグニッション(点火)」。札幌市西区の八軒中学校の校庭。コードでつないだ点火装置のスイッチを入れると、三十センチメートルほどの頁っ赤なモデルロケットが勢いよく舞い上がった。

『「エンジン」は火薬』

 同校科学部では、佐藤吉男教諭(三六)の指導で昨年二月からモデルロケットの打ち上げ実験を始めた。しかし、途端に規制の厳しさに直面した。

 機体は紙と木、ブラスチックでできている。親指ほどの円筒に詰まったまった黒色火繋が「エンジン」だ。火繋が燃焼する時の高速噴射ガスの推進力でロケットが舞い上がる。

『知事の許可が必要』

この黒色火薬に火薬類取締法や同法の施行規則で規制がかかる。火薬の量が5g以下なら、玩具の花火と同じ扱いなので、中高校生でもエンジンを自由に模型店などで買え、モデルロケットを作って飛ばすことができる。
 だが、火薬の量が五gを超えると、エンジンを購入するのに都道府県知事の許可をもらわなくてはならない。ロケットを飛ばす場合にも許可が必要だ。しかも「火薬類取り扱い保安責任者」という都道府県の資格試験に合格した人が立ち会わねばならなくなる。

 『事故の報告はなし』

 佐藤教諭らによると、モデルロケットは米国政府が将来の宇宙飛行士や研究者を育てるてる目的で開発を指示し、教育現場での実験にも使われてきた。米国では火て、米航空宇宙局(NASA)の許可を受けた米国のエ場で製造されたもの。これまでに事故が起きたとの報告はない。
 しかし、通産省は「火薬が五gを超えると、誤って事故が起きる可能性も増す。親の立場からは、危険のあるものを子供に自由に与えてよいのか、となる」と指摘する。
 これに対し、佐藤教諭は「規制がなければ、生徒たちの自由な発想でロケット設計でき、エンジンの規模による飛び方の違いなども自分たちの目で確かめられる」と残念がる
 東京都内の高校生から届いたファックスには [宇宙に対ずる夢、憧(あこが)れを奪わないで」とあった。
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この記事により規制緩和が進み5g以上でも日本モデルロケット協会の4級のライセンスを取得した者にはA(2.5Ns)B(5.0Ns)C(10.0Ns)の3種類のエンジンを使用できるようになり、また一から自作することが出来るようになった。

 この1993年が北海道モデルロケットクラブ(HMRC)発足の年であった。モデルロケット北海道大会を開催に導き、北海道から初めて全国大会に選手を送り込んだ。
 中学2年生3名、小学6年生1名、小学2年生1名の計5名がエントリーした。引率者として北海道モデルロケットクラブ(HMRC)会長、副会長の2名が同行した。

 しかし、私が転勤で八軒中を去ったあと科学部は自然消滅してしまった。私の転勤先の東栄中学校に科学部があったが、モデルロケットを操れるほど優秀な存在はなく基礎研究からやり直すしかなかった。私が多忙を極めているあいだ北海道モデルロケットクラブ(HMRC)の活動は休止状態となっていたが、2003年10年間ともにモデルロケットの普及啓蒙活動をしてきた北海道警察本部 刑事科科学捜査研究所物理科研究員の長尾康美が死去され、各種のモデルロケットを北海道モデルロケットクラブ(HMRC)に寄贈された。これを打ち上げるために「2003年モデルロケット北海道大会」を開催しデモフライトで長尾氏のロケットを打ち上げることができた。2003年には<弟子屈町100年記念事業> 「摩周宇宙フェスティバル」 でも打ち上げに成功した。以後21世紀の北海道モデルロケットクラブ(HMRC)活動が開始されることになる。

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